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令和の万葉集で読まれていた庭は坂本八幡宮の近くにあった

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新元号『令和』の元となった万葉集の梅花(うめのはな)の歌で読まれている宴会を行っていた庭は、福岡県太宰府市にある、坂本八幡宮の近くの大伴旅人邸跡とされています。

大伴旅人は当時大宰府の長官でした。

坂本八幡宮から5分ほどのところに、当時の宴会の様子の模型が置いてある施設があります。
それが大宰府展示館です。

大宰府展示館ホームページ


模型「梅花の宴」(山村 延燁作)

天平2年(730)正月13日、大宰帥・大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」の様子を博多人形で再現しています。

天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。
時に、初春(しよしゆん)の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。
加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。
には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。
ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。
言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。
淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。
若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述(の)べむ。
詩に落梅の篇を紀(しる)す。
古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。
宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

引用元:万葉集入門

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